* 「敬老の日」に寄せて 大和文化を捨てていいのか
 今年も「敬老の日」がやってきた。政界は相も変わらず国民不在の茶番劇で騒々しいが社会保障抑制政策は淀みなく進んでいる。国民は老親の介護にくたびれ果て、病人は治ってもいないのに早期退院を迫られ、「効き目や安全性は先発医薬品と同じです」と今まで白眼視していた価格の安いゾロ薬品をすすめられ、姥捨て山制度と高齢者の怒りを買った後期高齢者医療制度は6月に参議院で廃止法案が可決されたが、厚労省は手を変え品を変え美辞麗句を並べて、この制度を死守しようとしている。すべて医療費削減のためである。
 公的医療費の削減、それに伴う自由診療の拡大、混合診療の解禁、株式会社による病院経営等、市場原理の導入はアメリカの保険会社や不動産会社の儲け口の餌食となる。バブル崩壊後、ハゲタカ資本が日本中を乱舞し、銀行や生命保険会社を屈辱的な安値で買収していったことは記憶に新しい。そして郵政省が管轄する簡保に目を付け、郵政事業は民営化された。次のターゲットは医療となるのであろうか。そうであるなら世界から総譜され羨望された、すべての人が平等に最新の治療が受けられる日本の国民皆保険が音をたてて崩れてゆく。民間の医療保険会社に十分な掛け金を払えない者は十分な医療、最先端の医療を受けられなくなる。当然、世界一を誇る平均寿命はアメリカ並の先進国最下位となる。お金持ちだけが生き残り、よりお金持ちが勝者となる。まさに拝金主義の世界である。
 日本には二千年以上かけて培った「情けをかけ、支え合い、共生する」という思想、文化がある。即ち、究極な落ちこぼれでも、厄介者でも、少々おかしくても、村中(地域)で支え、何とか一生を全うさせるというものであろうか。たとえ、かつて無条件降伏したとしても、たかが200年の弱肉強食ハゲタカ文化に大和文化を明け渡していいものだろうか。

 〜老後を安心して暮らせないような国はいらない〜 

 今春、高齢者の介護を担う介護福祉士養成校へ入学した者は定員の46%だったらしい。過労働の割に給与が少ないから敬遠されるのである。介護保険上での介護報酬が少ない故、十分な給与が支払えないのである。昨年、大手訪問介護事業コムスンが大赤字をかかえて倒産した本当の理由も国民は知っている。それでも、なお官僚は「国民や政治家は判断能力がないから」とうそぶきつつ、机上のパソコンで社会保障抑制のためだけの数字を叩き出している。明治以来の「官尊民卑」に腹立たしい。そういう中で、7月、博労省は社会保障に関する「5つの安心プラン」なるものを出してきた。要約すると、
 々睥霄圓活力を持って安心して暮らせる社会(65歳以上の継続雇用の支援、在職老齢年金制度の見直し、最低補償年金の検討)
 健康に心配があれば、誰もが医療を受けられる社会(産科・救急医らへの財政支援、医師数の増加)
 Lね茲鮹瓦子供たちを守り育てる社会(こども交付金創設、働く親への支援拡充)
 で標やパートなどで働くものが将来に希望を持てる社会(ネットカフェ難民の就労支援、日雇い派遣の原則禁止)
 ジ生労働行政に対する信頼の回復(厚労省の組織・業務の見直し)一読して、何をいまさらという思いが強い。しかも、5年間で一兆一千億円の社会保障抑制政策進行中樗どこからこのプラン達成の財源を持ってくるというのだろうか。
 官僚及び政治家は国民をナメきっているのである。そしてナメきられた国民は、汗水流して、セッセと税金を貢いでいる。健気なものである。
 もし未来に希望が持てず、老後を安心して暮らせないなら、そういう国はいらない。税金を払う必要もない。
 それにしても、財のない年金生活者よりも生活保護者の方が裕福であるような国が他にあるのであろうか。
 日本をこういう理不尽な、敬老心のない国にしたのは、一体、誰なのだろうか。

「山陽日日新聞発表の論文を引用」(2008年9月14日)